10年前に決めたスゴロク人生[1]

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いつも地獄のように長いblogを読んでくださりまして、誠に誠にありがとうございます。

 

更新頻度は低いですが、一回一回に全力で書き込ませていただいております。

 

今回もどうぞ宜しく御願い致します。

 

 

もうお盆も終わり年末まで4ヶ月を切りました。(何という早さでしょうか)

 

毎年夏を満喫する前に夏が終わっていきます笑

 

からは味噌のゴールデンタイムに入ります!

味噌教室を色んなところで開催していきますので是非ご参加くださいませ!

(告知は各SNSでいたします)

 

[開催予定エリア]

※大阪

※福岡

※熊本

※佐賀

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今年の中盤(4月〜8月)は体質改善をテーマに外でお話してきました、

 

麹王子というお仕事を与えていただいてから、商品(甘麹)の説明はローカル(お客様と会う)でお話していこうと決めておりました。

 

地道な営業活動です。

 

 

職は楽天(株)、IT業界から発酵業界へ来た訳ですが、未知な事が多くまだまだブルーオーシャンな業界を楽しませていただいております。

 

 

忙しいなかで5年先も自分の身体は元気に健康で動いてくれているんだろうか、といつも考えるぐらい身体を気にかけていた20代、

 

神経質ですね笑

 

 

みの日も働いてガムシャラに動いて出世してお給料も沢山もらった楽天時代、

 

でも身体が壊れたら何も出来なくなってしまう。

 

それまでの功績なんて全て台無しだ。

一度の人生、仕事も身体もプライベートも満たしながら生きて行きたい。

そんなライフスタイルを送って行きたい。

 

 

とは言っても今を命に生きないと先に残すモノを生み出せない、お給料がないと今の生活が困る、その生活は何年続ける?続けれるのか??

 

どこかのタイミングで方向を変えないといけない…なにかないかと模索して3年、

 

 

そんな時に弱が幸いしたのか奇跡的に麹に辿り着いたのですが、辿り着けたのは10年前から自分の生き方をスゴロクとして考えてきた結果が今に繋がったのです。

 

 

 

 

 

僕の人生はすごろく(双六)

 

ここからは僕の26歳に一度終わった人生から、新しい人生を生きてきた過去を勝手に振り返ってみようと思います。

 

事と関係のない事ですが、節目となる2020年までに振り返ってみたいと思います。

お付き合い頂けますと嬉しいです。

 

 

 

 

自分が進む道はサイコロを振って決められる。

 

 

誰が言った訳でもないんですが、

人生ゲームと現実の人生も同じだなと思っていて、

 

僕には特にでた才能はなくて、

勉強も飛びっきり出来ないし、

運動も飛びっきり出来ない、

学生時代も前に出るようなタイプでもない、

 

典型的な何もない普通の人間。

 

 

ありふれた生活を何となく過ごし、

一度仕事で折した26歳の時にある事を思う。

 

 

 

『これからの10年大丈夫なのか?俺大丈夫?ホントにやっていけるのかい?挫折続きの人生なのかな、田舎帰ってゆっくり生きるのか?お金も節約出来るしね、いやダメだダメだダメだ、逃げちゃダメだ。げちゃダメだ。逃げる?違う、これは逃げるんじゃない、自分が本当はどうしたいかだよ、どうしたいんだよ、本音で動かないとまた挫折して繰り返しの人生が来る』

 

 

『こんな時にサイコロがあったら楽なのに。自分じゃ決められない、いっそ誰か僕のサイコロを振ってくれないか』

 

 

何という他人任せ全開の考力。

 

 

この時から常に選択を迫られる際に頭の中でサイコロをるようになっていて(完全に逝っちゃったんですね)、

 

 

転職をする時にサイコロ、

何の仕事が自分に合うのかサイコロ、

こんな人生にしたい時のサイコロ、

本当にそれで良いのか?のサイコロ、

 

 

こんな思考パターンで3ヶ月間ニートをしていると面白いもので色んな事が起きる。

 

 

 

何をやってもすぐ飽きる。

 

あと、興味を持つときるまでやってしまうので意味不明な行動ばかりしていた。

 

 

築デザイナーになりたいと思い、建築中の工事現場に行き何時間も眺めたり、設計図書いたりしていて笑(父の大工の血がそうしたのか笑)

 

 

何日か経って飽きてしまい、今度はデザイナーになりたくて個人事務所に電話して、『無償で良いから雑務させてください』、という今では滅危惧種並みのアグレシッブさを出していた。

 

 

後に僕の人生を変えた本にあった実話を真似してやってみたんです。(そしたら見事に採用されませんでした笑)

それは才能があったうえでの行動だった事に後で気付いたのです…

 

 

 

『現実は本のようには行かないもんだな。』

 

夕陽をめながら西宮(兵庫県)をしたり顔で歩いていた頃を思い出します。

 

 

その次はゲームデザイナーになろうとしてレベルデザイナーになる為の本を買って独学していた。(レベルデザイナーとはゲームの難易度やバランスを決めていく仕事)

 

そして3日でなく飽きる。

(とてつもない早さで飽きます)

 

 

『何をやってるんだ僕は…そろそろヤバいぞ。失業保険が尽きるぞ、何とかしないと…』

 

 

焦った僕はこだわりをて、ある零細企業に入社する事になる。

 

 

 

自分に価値がない事を認める。

 

ニートになる前はアパレルスタッフだった訳ですが(挫折した頃)、

アパレルから転職するのは相当ハードなものでした。

 

 

 

接官『君は前職で何をやっていたのかね?』

僕『はい、主にショップで販売接客をしておりました。』

 

面接官『あー、服たたんだりするやつね。』

僕『いえ、それだけではなく販売実績も一位を取った事もあります。』

 

面接官『実績?お客が買いに来ているんだろう?それは仕事とは言わないよ〜』

僕『は、はぁ…』

 

面接官『うん、じゃまた通知は後日送りますので、あと何かあるかな?』

僕『い、いえ、大丈夫です、ありがとうございました。』

 

 

アパレルスタッフの扱いは社会ではとてつもなくい扱いでした。(あくまでも僕の場合です)

 

こんな面接を20回ほど繰り返して、やっと入社にこぎつけたのが細企業の営業マンである。

 

 

営業は初めてで、1番やりたくなかった職種、

 

その会社の平均年齢は45歳。

 

上司が50歳、社員10名、型的な2代目社長、

 

 

朝は8時出社、帰宅は25時になる事もある。

給料はアパレル時代の13万に比べれば27万ももらっていたので大出世だった。

 

当時27歳、まわりはドンドン仕事で出世し、家を買い、車を買い、海外に行き、

 

人生にが生まれ焦る。

 

 

『俺はこんなとこで何やっとんねん』

(大阪なので関西弁です)

 

 

先輩はある現場で事故に遭い仕事復帰出来ない事になり、話す人がどんどんめて、消えていく。

 

 

そんな小さい会社でも1人だけよく話す人がいて、木材や機材を倉庫で管理している55歳のおじさん。

 

おじさんは優しい人で、いつも話しかけてくれて気にかけてくれた、社長のワンマンもどんどんエスカレートしていく、いつも励ましてくれるおじさん。

 

 

そのおじさんもいなくなる。

 

 

このままじゃいけない、

こんなところで終われない、

い内に決めないと!

 

 

そこでまた僕はサイコロを振った。

 

 

サイコロを振りつづけた数年先、デヴィ夫人と食事をする事になるとは思いもよらない笑

 

 

 

》続く

 

 

[第2話]

 

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